ico!

なんでもないことです

おばあちゃんへ

父と縁を切っているので、父方の祖母に最後に会ったのも記憶の遥か彼方だった。

祖父は私が高校生の時に他界した。

父のことは諦めたけれど、祖母のことは海に沈んだ石のようにずっと心の奥底にあった。

元気にしているだろうか。私のことはどう思っているだろうか…。

そう思っていたけれど、思っていただけで私は結局何もしなかった。

母方の祖母との別れは悲しかったけれど、何の悔いもなく、私の大切な記憶となれた。できる限り会いに行くようにしていたし、祖母が年々歳を重ねて老いていく姿を見ながら、なんとなくそう遠くない別れを思い浮かべたりして、そうしてその日を迎えたからだと思う。

勝手な話で、私は半ば無意識に父方の祖母に会いに行く分も含めて母方の祖母に会っていたように思う。エゴでしかない。本当に本当に自分勝手だ。でも父方の祖母とどう繋がりをもてばいいかわからなかった。

父が家を出てからも私は祖母に年賀状を出していたのだけれど、ある年に「もう字をかくのが大変になってきた」という返事をもらって私はそこで年賀状を送るのをやめてしまった。今思えば一方的にでも送ればよかったのだけれど、当時はまだ子供で臆病だった。

そこから何年経っただろうか。

私はすっかりいい大人になってしまって、祖母との数少ない思い出も霧がかかったように思い出せないことに今日気が付いた。

「3月6日におばあちゃんが亡くなりました。99歳だそうです。たくさん可愛がってもらいましたね。」

今日の昼休みに見た母からのLINEでその事実を知り、なんの実感もないまま涙が止まらず、人生でいちばん祖母のことを考える1日になった。

と言っても感傷にひたるほどの思い出もなく、訃報を知らせてもらえるほどの繋がりもないこと実感するだけではあったのだが(母は新聞のお悔やみ欄で名前を見つけて知ったそう)、そうだとしてもあの人は間違いなくわたしのおばあちゃんで、私はおばあちゃんの孫なわけで、そう思えば思うほど、途方もなく泣けてしまった。

もう二度と会えない。

夏休みに過ごした祖父母の家。畑でとれたトマトが美味しかった。私の名前を呼ぶ声。あまりにも遠い記憶で、少ない思い出。だけれど、優しかったことは覚えている。

どんな最後だったのかわからないけれど、どうか安らかであってほしい。

最後まで会いに行けなくてごめんなさい。

僅かな繋がりだったとしても、幼いころにもらった愛のままに、今もおばあちゃんのことを愛しています。ありがとう。